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最高裁判所第一小法廷 昭和47年(あ)1958号 判決

主文

原判決及び第一審判決を破棄する。

被告人を懲役八月に処する。

理由

検察官の上告趣意について。

本件公訴事実のうち、所論の指摘する道路交通法七二条一項前段、一一七条の罪に関する第一審判決の認定事実及びこれに対する原判決の法律判断は、おおむね次のとおりである。

すなわち、被告人は、普通貨物自動車を運転し、新潟市上大川前通七番町一二四三番地先交差点において、自車を長谷川孝平の運転する普通乗用自動車に衝突させ、同車に同乗していた佐藤則子を過つて負傷させたのち、同所付近において長谷川孝平らと右事故について話し合い中、その場から自動車を運転して逃走しようと考え、自車に乗りこんだうえ、そのまま自車を発進させれば同車の助手席付近に手をかけて発進を制止しようとしている長谷川を転倒させて傷害を負わせるかもしれないことを知りながら、あえて発進加速し、同人を路上に転倒させ、同人に全治約五〇日間の傷害を負わせたままその場から逃走したというものであるところ、原判決は、長谷川の負傷が道路交通法七二条一項前段にいう「車両等の交通による人の死傷」があつたときにあたるとしながら、同条一項前段、一一七条の罪の成否については、その死傷の原因となつた行為につき運転者に殺人又は傷害の故意のあつた場合には、行為者は自己の行為によつて人の死亡又は負傷の結果の発生することを意図しあるいはその発生を容認しつつあえてその行為に出たものであり、このような場合、行為者がそれに対応して生じた結果を放置しておくのは、当初から故意があつたことの自然の成り行きであり、しかも道路交通法七二条一項前段所定の義務のうち負傷者の救護を命じている部分は、当該負傷者の身体保護のためのものであるから、特段の事情のない限り、その負傷者をそのまま放置して救護の措置を講じなかつたからといつて、そのことに対する刑罰的評価はその前段階の殺傷行為に対する刑罰的評価が当然予想しているところであつて、前者は後者に吸収されると解するのが相当であるとして、右罪の成立を否定した。

したがつて、原判決の右判断が、車両等の交通による人の死傷があつた場合には、それが刑法上の傷害罪にあたる行為であつても道路交通法七二条一項前段所定の義務を免れるものではないとした所論引用の大阪高等裁判所昭和四四年一月二七日判決(刑事裁判月報一巻一号一頁)と相反する判断をしたものであることは、所論指摘のとおりである(なお、所論引用の東京高等裁判所昭和四七年一二月六日判決は原判決宣告後のものであるから、刑訴法四〇五条三号の判例ということはできない。)。

思うに、道路交通法七二条一項前段が、「車両等の交通による人の死傷又は物の損壊があつたときは、当該車両等の運転者その他の乗務員は、直ちに車両等等の運転を停止して、負傷者を救護し、道路における危険を防止する等必要な措置を講じなければならない。」と規定しているのは、これを道路における危険の防止と交通の安全、円滑を図ろうとする道路交通法の目的に照らして勘案すれば、交通事故の発生に際し、被害を受けた者の生命、身体、財産を保護するとともに交通事故に基づく被害の拡大を防止するため、当該車両等の運転者その他の乗務員のとるべき応急の措置を定めたものであり、したがつて右義務は、原則として、被害の程度にかかわらず、しかも人の負傷又は物の損壊について故意、過失があつたか否かを問わず、運転者その他の乗務員がひとしく負うべきものであることは明らかである。いまこれを、右規定のうち負傷者の救護を定めた部分に限つてみても、右部分は当該負傷者の生命身体の安全を主たる保護法益としたものであり、その意味においては、刑法の傷害、傷害致死、業務上過失致死傷罪等の生命、身体の保護に向けられた各規定とその法益を同じくする部分があるとはいえ、道路交通法は、これに加えて、負傷者の身体に対する被害が増大し、さらには、生命に対し危険の及ぶことを一般的に防止するという行政目的的見地から、人身事故を発生させた者であると否とを問わず、広く運転者その他の乗務員に対して一律に、応急の措置として負傷者の救護を命じたものと解すべきである。したがつて、本件の如く、自動車の運転者が傷害の故意に基づき車両の運転によつて相手方を負傷させその場から逃走した場合であつても、傷害罪のほかに道路交通法七二条一項前段所定の救護義務違反罪も成立するものといわなければならない。この場合において、右の傷害行為に対する刑罰的評価は負傷者に対する救護義務違反の行為をも評価し尽くしているとはいえず、また、このように救護義務の履行を強制したとしても、それが被害者に傷害を負わせる意図のあつた行為者の故意の内容と矛盾するものともいえない。

そうすると、これと異なる見地に立ち、被告人の本件所為に対し道路交通法七二条一項前段、一一七条の罪責を問い得ないとした原判決は法令の解釈適用を誤まり所論引用の大阪高等裁判所の判例と相反する判断をしたものというべきところ、右の罪にかかる公訴事実は原判決が有罪とした他の各公訴事実と併合罪の関係にあるものとして公訴を提起されたものであるから、原判決は刑訴法四〇五条三号、四一〇条一項本文により全部破棄されるべきであり、また、この点につき原判決と同趣旨に出た第一審判決も全部破棄を免れない。

よつて、同法四一三条但書により被告事件につきさらに判決をすることとする。

原判決及び第一審判決の認定した事実は、右各判決の罪となるべき事実に記載された各事実、及び、被告人は第一審判決判示第二記載の日時場所において同記載のように長谷川孝平を負傷させる交通事故を発生させたのに同人を救護するなど法律の定める必要な措置を講じなかつたという事実である(右事実に対する証拠は、原判決が長谷川孝平に対する事故についての報告義務違反の罪を認定した証拠として掲記するものと同一である。)ところ、右各事実に法令を適用すると、被告人の所為のうち第一審判決判示第一の点は刑法二一一条前段、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号(刑法六条、一〇条による)、同第二の点は刑法二〇四条、昭和四七年法律第六一号による改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号(刑法六条、一〇条による)、同第三の一及び前記長谷川の救護を怠つた点は各道路交通法七二条一項前段、一一七条、第一審判決判示第三の二及び原判決判示第四の点は各同法七二条一項後段、一一九条一項一〇号に該当するので、所定刑のうち各懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により最も重い傷害の罪につき定めた刑に法定の加重をした刑期範囲内で被告人を懲役八月に処し、当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

よつて、裁判官全員一致の意見により主文のとおり判決する。

(藤林益三 下田武三 岸盛一 岸上康夫)

〈検察官の上告趣意〉〈省略〉

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